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『CHAIN』

『CHAIN』

監督:福岡芳穂 主演:上川周作

出演:塩顕治 池内祥人 村井崇記 佐々木詩音 延岡圭悟 松本薫 和田光沙 辻凪子 土居志央梨 
渡辺謙作 鈴木卓爾 高尾悠希 駒野侃 宮本伊織 東山龍平 山本真莉 鈴川法子 水上竜士 福本清三 大西信満 山本浩司 渋川清彦 高岡蒼佑

プロデューサー:椎井友紀子 仙頭武則|脚本:港 岳彦|撮影監督:栢野直樹(J.S.C.)|照明:浅川 周|録音:中山隆匡(J.S.A.)|美術・装飾:嵩村裕司|助監督:飯島将史|製作担当:岡本建志|
殺陣:中村健人(JAE) 東山龍平(JAE)|題字:赤松陽構造|編集:鈴木 歓|VFX:西尾健太郎|劇中胡弓曲「芥子の香」作曲・演奏:木場大輔|音楽・ギター演奏:中城 隆|企画・製作:北白川派|
製作・配給協力:沖潮吉績 沖潮芽生|製作協力:京都芸術大学 ギークピクチュアズ 時代劇専門チャンネル 東映京都撮影所|後援:京都市|協力:京都府|配給:マジックアワー|
2021年/日本/カラー/DCP/7.1ch/1:1.85/113分 Ⓒ北白川派

お問い合わせ

2021年11/26(金)より
テアトル新宿、
12/10(金)より京都シネマほか
全国順次ロードショー

予告編
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どうして『CHAIN』なのか
福岡芳穂(監督)

まちを歩いていて或いは乗り物に乗ってまちの風景に目を泳がせていて急にふと誰かに見られていたりとか或いは誰かに声をかけられたような気がして立ち止まる、振り向くようなことはありませんか。
かるくホラーですしやや病理的な感じもしますが僕にはたまにあるのです。
幻視幻覚というよりもう少しリアルな体感というか。
そしてそれは、その場所が持つ時間が、時間が持つ人々の存在が、人々の存在が持つ切実な意志が、僕に感応を求めているのかもしれないなどと考えるのです。

だからけして恐怖ではないし、それは「そこに残存する情緒としての念」といったものではなく、その場所でいまも継続されている「別の、もうひとつの時間」と擦れ違った瞬間なのであろうと納得するのです。

この映画はいわゆる「時代劇」なのに現代の風景や音が混在していたり題名に至るや『CHAIN』であったりします。
どうしてCHAINなのか?

ひとつには、できごとの連鎖、時間の連なり、です。
我々は一貫した時の連なりの中で存在していると(信じ込んでいると)。

次に、鎖=縛るもの、です。
我々は様々なものに縛られて生きていると。自縄自縛も含め。

三つ目には、恣意的な解釈になりますが、つながり、結びつき、です。
「場所」を、それが持つ「時間」と結びつけ可視化することはできないかと。
そして幕末のひとと我々とを直接的に結びつけられないかと。

この映画の製作に関わった大学がある(学生たちがいる)京都という場所、そこには様々な深い時間が伏在しています。
繁華街の角をひとつ曲がるとかつて殺戮が繰り広げられた場所が多くあり、憩いの場であり観光客も多い鴨川には方丈記などにもあるように飢者や死者が溢れた時間がありました。京都の南東部にはそうした死の世界との境目を意識させる地域も存在します。
「時代劇」というと何だかかなり「他人事」です。
でも、現代のわたしたちが生活する空間感覚の中で、ちょっと角を曲がると、ちょっと振り向いてみると、そうした「時間」が見えてしまう(或いはそうした「場所の持つ時間」というものから自分の存在が逆襲を受けるといった不思議な感覚になる)、というようなこともあるのではないかと感じ、それを目に見えるものにしたいと考えました。
映画で描くのは時間と空間です。

場所と時間を自由に往還させ、わたしたちが無自覚に信じ服従している歴史(時間)を無効化して違う時間に変換してみたい、そうしてわたし自身がそこにアクセスしてみたい、そう願ったのです。
映画の最後で主人公は叫びますが、それは時を超えたわたしへの切実な要請でもあり、もしかしたら連帯の呼びかけなのかもしれないと。

仏教的な解釈としては正確ではないのでしょうが、諸行無常とは、勝ち残った権力構造が任意に創作した「歴史=時間」が無秩序な世界(人々)の意志の力によって破砕される様相である、とも言われます。
分断化断片化され、なかったこととして削除されたそうした数多の意志、個々の時間を復旧していくと果たしてどうなるのだろうと。
かれらの、「かく生きたい」と希求した時間、言わば「別の未来、もうひとつの時間」をわたしたちは想像する必要があり、その作業は確実にわたしたち自身がこれから選び取っていく時間に反映されるのではないか。

時間のなかにわたしたちはいるのでしょうか、それともわたしたちのなかに時間があるのでしょうか。
僕は、時間というものは一貫した単線的なものではなく常に計数不能なほどに散乱してあり、そしてそれらは全く予測不能なタイミングで交錯するものだろうと思っており。

なので今回の映画は幕末のできごとを描く「時代劇」であると同時に、他人事ではないわたしたち自身のできごとである「時間劇」と言えるのかもしれない、と考える次第です。

“CHAIN”について
椎井友紀子(プロデューサー)

インディーズのプロデューサーを30数年続ける中、資金集めはそろそろ限界と、業界からフェードアウトを考え始めていた頃、私を京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)に誘ったのは福岡芳穂監督と山本起也監督だった。

私の性格から、とても大学の教員などはハードルが高く無理だと断るつもりだった。
実は映画業界からフェードアウトする理由のもう一つに、母親の介護を九州で!とも考えていたのだ。
が、母親は私が九州に戻る前に逝去。

つまり東京からフェードアウトする理由はあったが、九州に戻る理由がなくなり、いずれ終の住処の九州の実家に戻る前に、大好きな京都に途中下車するか!と血迷った。

あれほどプロデューサーの賞味期限は、資金集めが出来なくなったら、と心に決めていた私が、何故か福岡監督作品“CHAIN”で再び資金集めに奔走。

京都造形芸術大学の映画学科で形成され北白川派と名付けられたそのプロジェクトは、映画学科で教える映画監督の作品を、プロの映画人と映画学科の学生の混成チームで映画を制作するというものである。
プロデューサーを辞めるつもりで京都に来たものの断る選択肢はなく、いつのまにやら太秦東映撮影所の協力があれば低予算でも時代劇がやれます!と、ちゃっかり福岡監督と脚本家の港さんに提案をしていた。

お調子者の悲しみを後々背負うことになるが、準備段階から必死にしがみついてきた映画学科の学生の姿勢が、昔の自分を呼び起こし久しぶりに熱のある嵐のような撮影現場を体験した。
映画制作コース、俳優コース総勢100名の学生の支え、そしてそんな学生スタッフを福岡監督はじめプロの映画屋達が引っ張りながら完成させた“CHAIN”は、稀に見る質の高いインディーズ時代劇となった。
京都は時代劇がよく似合う!

新撰組 X 御陵衛士新撰組 X 御陵衛士

幕末の京都を舞台に、激動の時代をくぐり抜けた武士と庶民の生き様を映し出す

新撰組終焉の象徴とも言われる“油小路の変”を通して、激動の時代を生きた無名の人々――武士・庶民の対立、愛、嫉妬、復讐、青春など、幕末の京都を舞台に現代にも通ずる人間のもがき続ける姿を描く。
本作は京都芸術大学映画学科の学生とプロが劇場公開映画を作るプロジェクト「北白川派」第8弾作品で、主演は本作が映画初主演となる上川周作。京都芸術大学在学中に『正しく生きる』(福岡芳穂監督)、『赤い玉、』(高橋伴明監督)等北白川派作品に出演して演技力を磨き、卒業後に本格的な活動を開始。映画『止められるか、俺たちを』(白石和彌監督)、『劇場』(行定勲監督)、NHK連続テレビ小説『まんぷく』や大河ドラマ『西郷どん』等で注目され、若手実力派俳優として脚光を浴びている。

監督は若松プロ出身で『正しく生きる』『愛してよ』で知られる福岡芳穂(京都芸術大学映画学科教授)。脚本は『あゝ、荒野』『宮本から君へ』を手掛けた港岳彦。また本作は、「5万回斬られた男」と呼ばれ数多くの時代劇で活躍、今年1月に惜しくも逝去した俳優・福本清三の最後の出演作となった。
歴史的事件に関わった無名浪士たちのほとばしる情熱、激動の時代をくぐり抜けた人々の濃密な生き様を活写した、熱く激しい人間ドラマが誕生した。

時代背景

幕末。約200年に渡る鎖国が終わり、国内の勢力は主に三つに分かれていた。
1. 幕府ではなく天皇を中心として外国とは戦うべきとする「尊皇攘夷派」
2. 幕府を倒し新たな政府を作ろうとする「倒幕派」薩摩藩、長州藩、土佐藩
3. これまで通りに幕府中心とした「保守派」会津藩
これらの勢力が覇権争いをし、血を流していた。
新撰組とは、「保守派」会津藩の管理のもと、京都の危機的治安を維持するために幕府によって組織された末端の戦闘部隊である。
御陵衛士とは、新撰組から離脱し「倒幕派」となった伊東甲子太郎率いる集団である。
“油小路の変”は、この二つのグループの武力衝突によって起きた事件である。

*北白川派とは
京都芸術大学と映画学科が推進してプロと学生が協働で一年をかけ一本の映画を完成させ、劇場公開を目指すプロジェクト。2009年から現在まで8作品を制作・劇場公開。俳優の大西礼芳、土村芳らを輩出してきた。2021年は藤原季節主演『のさりの島』、上川周作主演『CHAIN/チェイン』の2本を劇場公開する。

「百年経ったら 
いい世の中に 
なってるどいいなあ……」

物語

幕末・京都。会津を脱藩した浪人山川桜七郎(上川周作)は、賭場の用心棒として雇われていた。賭場の胴元、侠客・水野弥三郎(福本清三)に御陵衛士の篠原泰之進(渡辺謙作)、藤堂平助(村井崇記)が資金繰りの相談をしている時、九州の菓子屋の息子・松之助(池内祥人)が賭け金の持ち逃げで引っ立てられてくる。同郷と知った篠原が松之助を救い藤堂らと出ていこうとした時、陰間乞食・惣吉(松本薫)が襲い掛かり、咄嗟に篠原は惣吉の脇腹を斬るが、同時に用心棒の桜七郎が藤堂の前に立ちはだかった。藤堂は刀を交える中で桜七郎に対し侍としての共感を抱き、御陵衛士への合流を誘う。しかし桜七郎は無言で去る。
片や松之助は屯所の下男として御陵衛士盟主・伊東甲子太郎(高岡蒼佑)始め仲間たちから快く迎え入れられる。そんな様子を、斎藤一(塩顕治)がじっと見つめていた。

新撰組局長・近藤勇(山本浩司)と副長・土方歳三(大西信満)は、新撰組を脱退せんとする伊東、藤堂、斎藤らに対し、新撰組が武士として出世を認められたことを伝えるが、伊東は立場の違いを鮮明にし、両者の遺恨が深まっていく。そんな中、新撰組の大石鍬次郎(佐々木詩音)は近藤の命により、組を抜け討幕派に傾いた武田観柳斎(渋川清彦)を斬殺しようとする…が、その場に現れ武田を手にかけたのは御陵衛士であるはずの斎藤だった。
一方、賭場を追われ食いつめた桜七郎は金の無心で訪れた会津藩邸で御陵衛士の不義理な行いを知り、伊東のもとに乗り込む…。
伊東の恋人、島原輪違屋の花香太夫(土居志央梨)、惣吉を救う病持ちの夜鷹・お鈴(辻凪子)、侍に阿片を売り「男など皆死んでしまえ」と嘯くお染(和田光沙)らを巻き込みながら新撰組と御陵衛士の対立は激化し、やがて油小路の変という惨劇へと繋がっていく―

Cast

キャスト

人物相関図

上川周作

かみかわ・しゅうさく

会津藩脱藩の無名浪士・山川桜七郎(やまかわ・おうしちろう)役

プロフィール・コメント

塩顕治

しお・けんじ

御陵衛士(新撰組の間者)・斎藤一(さいとう・はじめ)役

プロフィール・コメント

池内祥人

いけうち・さちひと

久留米の和菓子屋の息子・松之助(まつのすけ)役

プロフィール・コメント

村井崇記

むらい・たかのり

御陵衛士・藤堂平助(とうどう・へいすけ)役

プロフィール・コメント

佐々木詩音

ささき・しおん

新撰組・大石鍬次郎(おおいし・くわじろう)役

プロフィール・コメント

延岡圭悟

のぶおか・けいご

陸援隊・窪川藤次(くぼかわ・とうじ)役

プロフィール・コメント

松本薫

まつもと・かおる

陰間乞食(かげまこじき)・惣吉(そうきち)役

プロフィール・コメント

和田光沙

わだ・みさ

阿片を売る胡弓の師匠・お染役

プロフィール・コメント

辻凪子

つじ・なぎこ

夜鷹(娼婦)の女・お鈴役

プロフィール・コメント

土居志央梨

どい・しおり

花香太夫(はなか・たゆう)役

プロフィール・コメント

渡辺謙作

わたなべ・けんさく

御陵衛士・篠原泰之進(しのはら・たいのしん)役

プロフィール・コメント

鈴木卓爾

すずき・たくじ

御陵衛士・毛内有之助(もうない・ありのすけ)役

プロフィール・コメント

高尾悠希

たかお・ゆうき

御陵衛士・服部武雄(はっとり・たけお)役

プロフィール・コメント

駒野侃

こまの・つよし

新撰組・永倉新八(ながくら・しんぱち)役

プロフィール・コメント

宮本伊織

みやもと・いおり

新撰組・原田左之助役

プロフィール・コメント

東山龍平

ひがしやま・りゅうへい

陸援隊隊長・中岡慎太郎(なかおか・しんたろう)役

プロフィール・コメント

山本真莉

やまもと・まり

蕎麦屋「梅むら」の娘・つる役

プロフィール・コメント

鈴川法子

すずかわ・のりこ

蕎麦屋「梅むら」の女将・ふね役

プロフィール・コメント

水上竜士

みずかみ・りゅうし

会津藩家老・萱野長修(かやの・ながはる)役

プロフィール・コメント

福本清三

ふくもと・せいぞう

美濃の侠客・水野弥三郎(みずの・やさぶろう)役

プロフィール

大西信満

おおにし・しま

新撰組副長・土方歳三(ひじかた・としぞう)役

プロフィール・コメント

山本浩司

やまもと・ひろし

新撰組局長・近藤勇(こんどう・いさみ)役

プロフィール・コメント

渋川清彦

しぶかわ・きよひこ

元新撰組五番隊組長・武田観柳斎(たけだ・かんりゅうさい)役

プロフィール・コメント

高岡蒼佑

たかおか・そうすけ

御陵衛士盟主・伊東甲子太郎(いとう・かしたろう)役

プロフィール・コメント

Staff

スタッフ

監督

福岡芳穂

ふくおか・よしほ

プロフィール

プロデューサー

椎井友紀子

しいい・ゆきこ

プロフィール

プロデューサー

仙頭武則

せんとう・たけのり

プロフィール・コメント

脚本

港岳彦

みなと・たけひこ

プロフィール

撮影監督

栢野直樹

かやの・なおき

プロフィール・コメント

美術・装飾

嵩村裕司

かさむら・ゆうじ

プロフィール・コメント

録音

中山隆匡

なかやま・たかまさ

プロフィール・コメント

助監督

飯島将史

いいじま・まさし

プロフィール・コメント

殺陣

中村健人

(JAE)なかむら・
たけと

プロフィール・コメント

殺陣

東山龍平

(JAE)ひがしやま・
りゅうへい

プロフィール・コメント

編集

鈴木歓

すずき・かん

プロフィール・コメント

VFX

西尾健太郎

にしお・けんたろう

プロフィール・コメント

胡弓演奏・指導・作曲

木場大輔

きば・だいすけ

プロフィール・コメント

音楽

中城隆

なかじょう・たかし

プロフィール・コメント

脚本ができるまで

港岳彦(脚本)

二十五、六歳のころ、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」をリュックに詰めて京都旅行をした。池田屋跡だとか寺田屋跡だとか近江屋跡だとか、新撰組や坂本龍馬ゆかりの地に佇んでは「ここで竜馬がぶっ殺されたかあ」と合掌したり感慨にふけったり。歴史にはまったく不案内だけど、頭蓋骨まで熱くなりそうな幕末京都の青春模様には、アテられること大だった。
それから二十数年、京都芸術大学の同僚でもある福岡芳穂監督と椎井友紀子プロデューサーに呼び出され、「今年の北白川派は時代劇!」と言い渡されたとき、じゃ幕末の京都をやりたいとすぐに思った。ありがたいことに、好きなことをやっていい、条件についても一切制約はないという。予算については「お前もプロなんだからわかってんだろ? ん?」ってことらしい。

まずは幕末の大きな流れをさらおうと、中村彰彦の「幕末入門」を手にとった。ついで同じ著者の「新撰組全史」。その中で、新撰組末期の粛清事件、「油小路事件」の記述が目にとまった。作中「新撰組始末記」から引いた「手の指が数十となくそのあたりに飛散しており、人家の壁には鬢の毛のついている肉塊や血痕が数十カ処にわたって貼りついていた」なる描写が強烈だった。
詳細は本パンフレットに収録された木村武仁先生の原稿をご参照いただくとして、この事件における新撰組のやり口には、人を人とも思わぬ冷血さが滲んで痺れる。彼らは裏切り者である伊東甲子太郎の斬殺死体を真夜中の路上に転がし、彼を慕う残党が遺体の引き取りに来るのを、灯を消した蕎麦屋の中で今か今かと息を殺して待ち構えていたという。

裏切った連中を一網打尽に殲滅するためである。
冬の路上に転がる死体、頭目の亡骸を奪還しにくる殺気だった男たち、闇の蕎麦屋で彼らを待ち受ける新撰組……。そんな中、一人平然と蕎麦を啜っている斎藤一がいる――というイメージが浮かんだ。
(ああ、これは映画になる)と、わかった。
授業の後に京都に逗留して、新撰組ゆかりの光縁寺、壬生の八木邸、旧前川邸、壬生寺、島原の輪違屋、西本願寺、伊東甲子太郎が絶命した本光寺、事件の起きた油小路、御陵衛士が拠点とした月真院などを巡った。のちに脚本部に参加した学生たちとも同じようにゆかりの地を歩いた。今回のシナリオの大黒柱である伊東甲子太郎は実際に存在したのだよなあ、と妙にその体温を間近に感じて、これは下手なことは書けないと思い始めた。

時代劇の脚本をたくさん書いている先輩に言わせると「幕末ものは大変よ。資料がいっぱい残ってるから、嘘がつけないんだよね」。
その通りだった。かたっぱしから関連書籍を読み漁るが、調べても調べてもキリがない。目を通すべき資料のあまりの多さに気が遠くなってきた。仕事で抱え込んでいる複数のシナリオに北白川派を加え、さらに週に二回、京都での大学の授業もある。とてもじゃないが締め切りに間に合わない。
学生、手を貸してくれ。
当初から彼ら彼女らに参加してもらうつもりではいたが、予定よりだいぶ早めに声をかけることにした。猫の手も借りたい、が本音だけれど、あの大学の学生と脚本作りをするのは楽しいだろうな、とも思っていた。
京都芸術大学の映画学科は素晴らしく風通しが良い。学生たちの間にクリエイティブな空気が横溢し、屈託がなく、みなのびやかに芸事を愛していた。創造行為に必要なのは、そんな心ののびやかさだと僕は思っているから、ここは理想的な学校と言ってよかった。
学生に声をかけるにあたって、まずはキャラクター作りを丸投げすることにした。
漠然と主人公の一人は会津藩の侍がよかろう、と考えていた。徳川家へ忠節を尽くしに尽くした挙げ句、薩長から「賊軍」の汚名を着せられ、壊滅状態に追い込まれた悲劇の藩である。
高潔な志と愛郷心を持ちながらも、会津藩を惨めな理由で脱藩したやつ、人から〝裏切り者〟と呼ばれるような男が、この劇の主人公にはふさわしい。伊東甲子太郎も、乱世を生き延びるために落陽の新撰組から抜けた男である。二人の〝裏切り者〟の生と死を並行して描く構造が必要だと思っていた。

東日本大震災の後、僕は埼玉の騎西高校に避難してきた双葉町の方々に取材をしていて、あの原発事故がどれほど多くの人々の人生を変えたか、また、その原発が東京に電力を送るために作られたことなどが、ずっと胸にわだかまっていた。
学生の中に、小学生の頃に福島で被災して東京へ避難した学生がいた(彼はのちにそういった自分の境涯と向き合う作品を実習で撮った)。彼の脚本はいくつも読んでいる。よし、会津藩の侍をそいつにまかせようと思った。
全体を通して、尊王攘夷だの勤皇だのイデオロギーが暑苦しいドラマになるだろう。だから、主要人物の一人は思想的にフラットな方がいい。久留米藩の菓子屋のせがれかなんかを出そう。福岡監督も福岡出身だしな。ちょうど久留米出身の教え子がいた。勉強熱心であり、書いた脚本は合評会で「あなたは今すぐプロになれる」と太鼓判を押されていた。その人物の造形を任せるついでに、彼女に脚本部の部長を委ねよう。
土佐藩が作った陸援隊はアナーキーさが匂う。絶対に登場させたい組織だった。その中に、坂本龍馬みたいに輝かしい活躍を見せたスターとはまるで違う、屈折して日陰者の意識で生きているやつがきっといたはずだ。青春の暗い情念を滾らせているようなやつが。ああいう人間の屈折を掴むのがうまいやつがいたよな。当人も屈折してるぽいけど。よろしく頼もう。
実在人物の造形も必要だ。中でも二重スパイを演じる斎藤一は造形次第で超魅力的な殺し屋になる。ただし新撰組を調べるのは根気がいるから、リサーチが好きで、イマジネーション豊かなやつにまかせよう。
僕は人形浄瑠璃が好きなので、今回のシナリオには近松の心中ものの要素を入れ込みたかった。世の中から斥けられてる者同士の心中にしっかり思い入れてくれそうなやつがいるとしたら、あいつだ。
そんな感じで、主要人物に近いパーソナリティを持つと僕が勝手に思っている学生数名に、内々で声をかけていった。何回生であるかは問わない。今回の題材に合いそうな者を選んでいった。彼ら彼女らにはなんとなくのイメージだけを伝え、あとはネーミングを含むキャラクター造形から調べ物まですべて一任した。
最初に声をかけた学生たちに関しては、「ストーリーがキャラクターを作るのではなく、キャラクターがストーリーを作る」という方法論を授業で教えてあった。今回の企画はそれを実践で使うのだ。まあ僕の授業なんか聞かなくとも、持ち前の熱心さと勤勉さで、彼らはリサーチの必要性、キャラクター造形の重要性と方法論を、当たり前のように身につけていて、喜んでその作業に取りかかってくれた。
やがて学内で北白川派が時代劇であることが発表された。その時学生に配布した企画書のあらすじがこれである。

「慶応3年11月18日(1867年12月13日)。薩長同盟の立役者・坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されてから三日後の夜。京都油小路の路上で一人の侍が斬殺された。元新撰組参謀・伊東甲子太郎。新撰組から分離し、御陵衛士を立ち上げたカリスマを、新撰組の隊士たちが成敗したのだ。彼らは凍てついた路上に遺体を放置、死体を引き取りに来る御陵衛士の殲滅を図る。数十名の新撰組隊士が息を潜めて待ち伏せする油小路……その裏側で、新撰組でも御陵衛士でもない、まったく無名の志士たちが、運命の血路を開くべく必死の時間を生きていた。激動の時代の只中に起きた高名な「油小路の変」をモチーフに、躍動する無名の志士たちの青春を活写するファンキー、アナーキー、ラジカルな幕末青春グラフィティ」

参加希望者が集まり、脚本部計十名が出揃った。全員に同じようなキャラクター造形をお願いし、続々と登場人物が出来上がっていった。
甲子太郎を殺害する新撰組隊士の大石鍬次郎は実在人物だが、当初ここまでクローズアップするつもりはなかった。だが担当者から、彼は劣等感の塊みたいなやつだったのでは、という見解が出てきて、急に存在が膨らんでいった。担当する学生自身が抱えている何かに響くものがあったのだろう。青春とは、痛みである。
甲子太郎の恋人である花香太夫は「ロリータ」なのだ、歳の差があるから萌えるのだと言い募って、そのように造形したのは担当の女子学生だ。世の中をぶっ壊せばいいと思っているアヘン売りの女、といった奇怪なキャラクターを発案したのも別の女子学生だった。
甲子太郎の歌集「残しおく言の葉草」をすべて現代語訳にしてその意味をレクチャーしてくれた学生もいた。それで甲子太郎というキャラクターを理解する手掛かりになった。彼女はまた歴史好きでもあって、脚本の史実面に目を光らせてくれたが、今回は俳優部としてのクレジットに限定されたため、脚本部に名前が載っていない。映画では夜鷹の一人としてその存在を確認することができる。
尺の問題で泣く泣く外した人物に、同時代を生き、甲子太郎と交流のあった尼僧・歌人・陶芸家の大田垣蓮月などがいる。他にもいろんな事情で削除したり大きく設定を変更せねばならないキャラクターが出てきて、学生の中には悔しい思いをした者もいたと思う。
まあでも青春って悔しさと痛みが花だからさ。

北白川派の映画制作は大学のバックアップがあって成り立っているが、一方では授業時間を一切使ってはならないという決まりがある。あくまで学生の中の有志が参加する映画作りであって、授業ではないのだから当たり前だ。

だから、僕も学生たちも、放課後や授業のない時間、休みの日などを使って、脚本会議に打ち込んだ。教室を借り切って、担当キャラクターごとに班分けし、それぞれが資料と面付き合わせながら、ああでもない、こうでもないと何時間も、時には朝から晩まで議論を戦わせた。
準備からキャラクター造形、全体の構成を立てる作業に半年以上を費やし、ようやくロングプロットの形に仕上がった。提出したそれは監督からもプロデューサーからも概ね好評で、さっそくシナリオの初稿に取り掛かった。
シナリオについても、キャラクターを担当した者が、そのキャラクターの登場するシーンを書いてもらった。同じ場面に複数のキャラクターが居合わせる場合は、複数で、あるいは執筆担当を決めて取り組んでもらった。
こうした分担作業はなかなかうまくいくものではないし、実際、それらを単純につなぎ合わせて完成させたわけではないけれど、キャラクターを作り上げた当人にしか書けない台詞や行動というものはある。最終的な原稿にもそれらが断片的に残っていて、まるで執筆者たちの血の痕跡みたいに思える。
チグハグながらも全体をつなぎ合わせたものを、脚本部の部長が初稿の形に仕上げ、あとから僕が頭から直していった。
その脚本は「新撰組暗殺秘録 七条油小路ノ変」と題された。そこから、作品に現代京都の映像や「マジっすか」のような現代口語を入れるといったマジカルな方法論を導入したい福岡監督との作業がスタートするのだが、それはまた別のお話――。

日がな一日脚本部で会議をして、夜、とうとう学校から締め出されると、もう外は真っ暗だ。腹が減った。何人かで大学近くにある焼肉屋「大登龍」に入る。どこかで見たことのあるバイト君が、やけに押しつけがましい笑顔で「いらっしゃいませ」と出迎える。
「君どっかで見たね」
「あ、学生です」
思い出した。実習作品で何度か顔を見た俳優コースの学生だ。その彼が、のちのちこの映画で主人公の一人、松之助(久留米の和菓子屋のせがれ)を演じることになる池内祥人だった。
学校近くの焼肉屋でバイトしてる学生がプロの俳優たちに入り混じって主役を張る映画作り。それが北白川派である。

撮影が始まる頃にはコロナが広がりつつあって、打ち上げも何もできなかったのが心残りだ。
この場を借りて。脚本部のみなさん、ご苦労さまでした。
ありがとう。
仕上がった映画『CHAIN』が、できるだけ多くの方々の心に届きますように。

史実から見た油小路の変

木村武仁(幕末維新ミュージアム・霊山歴史館 学芸課長)

■史実と創作のはざまで

 映画『CHAIN』は、会津藩脱藩浪士・山川桜七郎を中心に御陵衛士と新選組の抗争を描いた群像劇である。
 御陵衛士は新選組から脱退することになる実在した一派だが、主人公の山川桜七郎は架空の人物である。
 この作品には、史実と創作が巧みに散りばめられているが、「伊東甲子太郎が近藤の妾宅へ出向く際、同志に引き留められたこと」「酒に酔った伊東に対して、近藤勇が駕籠を呼ぼうとして伊東が断ったこと」「新選組が蕎麦屋で御陵衛士を待ち伏せたこと」「襲撃する新選組が黒頭巾を着用していたこと」

 

「服部武雄が二刀流で戦ったこと」など、相当な新選組マニアでも知らないような史実がさりげなく織り込まれていることに驚かされた。
 また特に人物描写や殺陣は圧巻で、刀を抜く時に刀の鯉口を切るシーンなど丁寧に作られており、とても短期間で撮影された作品とは思えなかった。
 ただ私は幕末史の研究者なので、ここでは「史実から見た油小路の変」について解説する。

■藤堂平助と伊東甲子太郎

 油小路の変における御陵衛士側の死者は、伊東甲子太郎、藤堂平助、毛内有之助、服部武雄の4名である。
 藤堂は江戸出身で、新選組では副長助勤や八番隊組頭を務めた。本人は伊勢国の津藩主・藤堂和泉守と妾に間のできた子だと称していたという。そして江戸深川で北辰一刀流の道場を開いていた伊東甲子太郎の寄弟子になった。
 文久2年(1862)、藤堂は近藤勇が道場主を務める試衛館に出入りするようになり、翌年には近藤や土方歳三、沖田総司らと幕府の浪士募集に加わって京に上った。そのまま京に残留し、壬生浪士組(のちの新選組)の一員になった。
 ちなみに藤堂は沖田よりも二歳年下で、二十歳という最年少で副長助勤という幹部になった。
勇猛な性格で、戦闘の際にはいつも真っ先に突入したことから「魁先生」というあだ名がついていた。また、いたって美男子で、小柄であったが剣術はなかなかの腕前で学問もできたという。
 次に藤堂の北辰一刀流の師である伊東甲子太郎は元治元年(1864)10月に新選組に加わり、二番隊組頭や参謀、文学師範を務めた。伊東は新選組に加わるまでは江戸深川の北辰一刀流・伊東道場を継いで、平凡な道場主をしていた。伊東の入隊は、隊士の募集に奔走していた藤堂が、伊東を訪ねたことによって決まったが、伊東は尊王攘夷思想の持ち主だった。近藤や新選組と思想で一致していたのである。伊東は同志7名を引き連れて新選組に加わることにした。

■すれ違っていく伊東らと新選組

 新選組の当初の志は「尊王攘夷」で、敵は外国や外国人だった。しかし「池田屋事件」や「禁門の変」を経て、新選組の敵は朝敵(天皇の敵)になった長州藩へと変化していった。そして伊東らは次第に新選組内に居場所を失っていくのである。
 紆余曲折の末、伊東は新選組との決別を決意するが、新選組では脱退を禁じていた。そこで新選組二番隊組頭・永倉新八が書いた「浪士文久報国記事」によると、伊東は「この度、薩摩藩や長州藩に間者(スパイ)として入り込むにあたって、新選組にいては不都合なので別局したい」と近藤に相談した。また前年の慶応2年(1866)に崩御した孝明天皇の陵墓を守る「御陵衛士」を朝廷から拝任されるように根回しをした。近藤が分離を認めざるを得ない状況を作り出したのである。

■御陵衛士が分離

 近藤はしかたなく分離を認めたが、そのかわりにスパイとして斎藤一を送り込んだ。そうとは知らない伊東は、慶応3年(1867)3月、斎藤や藤堂など同志十数名を引き連れて新選組の西本願寺屯所を出た。
 その後、伊東らは五条の善立寺を経て、東山にある高台寺の塔頭(たっちゅう)・月真院に屯所を設けた。
 だが御陵衛士にスパイとして送り込まれていた斎藤が、機密を手に新選組に戻ってきた。伊東らが近藤らの殺害を計画していたというのである。これを聞いた近藤は激怒し、御陵衛士の壊滅を計画した。

■伊東の悲壮な覚悟

 慶応3年(1867)11月18日、近藤は伊東を七条醒ヶ井にあった自分の妾宅(休息所)に招いた。伊東は以前から薩摩藩や長州藩の間者になるための費用300両の借用を申し入れていたという。近藤は、その調達ができたと誘い出したのだ。
 表面上は友好関係が保たれていると信じていた伊東は、下僕一人を連れて向かった。この下僕は、実際には岡本武兵衛であるが、劇中では架空の人物・松之助として描かれていた。松之助が伊東を引き留めるために発した魂の叫びは、時代に抑圧されていた庶民の苦しみを見事に代弁していたと思う。
 史実では、心配して引き留める同志に伊東は次のような言葉をかけたという。「もし新選組に陥れられることがあろうとも、招きに応じないのは卑怯である。なおかつ、世間において我々は新選組と同一視されてしまっていることが遺憾に堪えない。私がもし新選組に殺害されれば、御陵衛士が勤王の士であると認められるであろう」と。伊東は新選組に入隊したことにより、自分たちの求めていた勤王活動が反幕派に誤解され、思い通りにいかない状況に同志を巻き込んでしまったことを悔やんでいたのである。
 そしてこの時、伊東は懐に自分の建白書を入れていたという。伊東は、この建白書で近藤を説得する気だったのかもしれない。

■伊東を暗殺、残党をおびき出す

 新選組隊士は伊東にしきりに酒をすすめた。泥酔させて討ち取る計画だったのである。そして酔っぱらった伊東は近藤が手配しようとした駕籠を断り、徒歩で帰路についた。木津屋橋通りから油小路通りにさしかかろうとした時、待ち伏せしていた新選組の大石鍬次郎に槍で肩口から首元を突かれた。
 劇中、伊東が刺客である新選組に囲まれるシーンがあったが、実際には不意打ちだった。しかしながら、忍び寄る新選組に包囲されるシーンは抜群の恐怖を感じさせる演出であったと思う。
 史実では、槍で突かれた伊東に宮川信吉、岸島芳太郎、横倉甚五郎が一斉に襲いかかった。伊東は北辰一刀流の達人だったが、多勢に無勢だった。油小路通りの本光寺門前「南無妙法蓮華経」の題目石にもたれかかり、「おのれ、奸賊ばら」と叫んで絶命したという。33歳だった。

■毛内有之助と服部武雄

 伊東の遺体は、新選組によって七条油小路に運ばれた。収容に来る御陵衛士を皆殺しにする計画だったのだ。
 劇中、伊東が新選組に殺されたことを知った藤堂平助が「(伊東先生の死に様は)ご立派であったか?」「そうか」と言うシーンがあり、誇り高い武士の価値観を見事に表現していたと思う。
 この時、藤堂と共に新選組と闘って命を落とした人物に毛内有之助と服部武雄がいた。
 毛内は津軽藩士の次男として生まれたが、毛内家は石高300石という名家だった。色白の痩せ型で普段は寡黙だったが、眼光は鋭く内に激しさを秘めるタイプだったという。新選組では文学師範を務め、なんでも器用にこなしたため「毛内の百人芸」と呼ばれていた。
 服部は播磨国赤穂の出身で、非常に体格が良く、力も強く、二刀流の達人だった。新選組では諸士調役兼監察を務めた。

■御陵衛士、甲冑を着ずに出動

 待ち伏せしていた新選組は近藤の命令を受けた永倉新八や原田左之助らだった。その数は「鳥取藩慶応丁卯筆記」によると35~36名だったというが、新選組の「金銀出入帳」によると出動隊士の数は17名のようである。
 新選組は、角の蕎麦屋を借りて待ち構えていたが、これも史実通りで実にマニアックなシーンの再現に驚いた。
 当時、月真院の屯所にいた御陵衛士は、三木三郎、服部武雄、加納道之助、毛内有之助、藤堂平助、富山弥兵衛、篠原泰之進のたった7名だった。
 服部は「敵は新選組に決まっている。よって甲冑を着ていく必要がある」と意見し、三木は「こちらが挑発しなければ、穏便に遺体を引き渡すかもしれない」と言った。そして篠原が「新選組は大人数で、我々は少人数であるが、甲冑を着たままで路上で戦死したら、後世まで臆病者だと笑われるであろう。よって平服で行くべきである」と言い、同志たちも賛同したという。

■数多く残る事件の資料

 御陵衛士7名が現場に急行すると路上に伊東の遺体が横倒しになっていた。一同は驚いて嘆き、ため息をついたが、まず遺体を駕籠に乗せようとした。しかし片足が外に飛び出したので藤堂がこれを内に入れようとした瞬間、鎖帷子を着込んだ新選組隊士が2方向(3方向とも)から斬りかかってきた。
 新選組は黒装束に眼出し頭巾姿だったが、これも史実通りに描かれていた。また刺客の新選組は「たすき姿」で、鉄砲を一発撃つのが、「かかれ」の合図だったという。
 御陵衛士は三木三郎ら四名が脱出に成功したが、藤堂らは逃げ遅れた。「御陵衛士の小者・岡本武兵衛からの聞き書き」、「鳥取藩慶応丁卯筆記」、「元桑名藩士・小山正武の回顧談」など資料からは壮絶な戦いの状況が見えてくる。
 ただし死体検分書では遺体を取り違えて記している可能性があり、諸説あるのが実情である。

■七条油小路の決闘

 最初に毛内有之助に斬りつけたのは新選組の永倉新八だった。毛内は背後から肩先にかけて斬られたが、儒学者で刀技には劣っていた。「鳥取藩慶応丁卯筆記」によると「身体に受けた傷は多すぎて書き尽くせないほどで、五体が離ればなれになり、目も当てられない状況だった。脇差を握りしめたまま絶命していた」と書かれている。しかし、これは服部の遺体だった可能性がある。
 そして剣術の達人だった服部武雄は、大刀と脇差の二刀流で応戦し、新選組隊士を大いに悩ませた。「鳥取藩慶応丁卯筆記」によると、「傷は背中に数ヶ所で、これは倒れたところを散々に斬りつけられたためで、うつぶせに倒れていたところを翌日、あおむけにしたところ腕先に3ヶ所、股や脚に4~5ヶ所、胴腹1ヶ所でおびただしい流血だった」とある。ただ、これは毛内の遺体だった可能性がある。
 また「服部の死に様は実に勇ましく、頭は前後左右から斬られ、肩や左右の腕や腹など全身20ヶ所以上の傷があり、流血はしたたり落ちていたが、顔色は生きているようだった」との記録もある。
 さらに西村兼文の「新撰組始末記」によると、「服部は一人だけ着物の下に鎖帷子を着ており、大勢の新選組にも恐れることはなかった。腰に提灯を差したまま、刀身三尺五寸(約133センチ)というとても長い刀で新選組に立ち向かった。刺客の新選組隊士を斬り倒し、2~3人に手傷を負わせ、飛ぶ鳥のように暴れ廻った」とある。「新撰組顛末記」には「服部に原田左之助、岸島芳太郎、島田魁の3人が左右から斬りかかり、原田が槍で仕留めた」とある。

■藤堂の最期、放置された遺体

 そして藤堂は「魁先生」の呼び名通り、この時も一番最初に抜刀して斬りかかったという。ただ近藤は「藤堂は伊東一派に加わっているが、まだ若い人材なのでできるならば助けたい」と永倉に伝えていた。永倉が藤堂を逃がそうと道をあけ、それに気付いた藤堂が脱出しようとした。ところが三浦恒次郎という隊士が背中から斬りつけ、ふり向いた藤堂は再び新選組と斬り結んで命を落とした。その遺体には両脚や横腹2ヶ所に傷があり、刀を握ったまま絶命していたという。24歳という若さだった。
 彼らの遺体は数日間現場に放置され、翌朝にはたくさんの見物人が集まった。数十本の指が散乱し、人家の壁に髪の毛が付いた肉片がへばり付き、血痕が数十ヶ所残る壮絶な現場だった。この油小路の変で、御陵衛士は事実上、壊滅したのである。

幕末年表

※太文字は新選組関連

嘉永6年
(1853)
6月 ペリー浦賀に来航
安政元年
(1854)
1月 ペリー率いる7隻のアメリカ艦隊が再来航
3月 勅許なしに日米和親条約が結ばれる
安政3年
(1856)
7月 米駐日総領事ハリス、下田に来航
安政5年
(1858)
4月 彦根藩主・井伊直弼が大老に就任
6月 幕府、勅許なしに日米修好通商条約に調印
9月 安政の大獄が始まる
10月 徳川家茂、征夷大将軍に任命される
万延元年
(1860)
3月 大老の井伊直弼、暗殺される(桜田門外の変)
文久元年
(1861)
10月 和宮が降嫁のために江戸へ向かう
文久2年
(1862)
1月 坂下門外の変が起こる
4月 寺田屋騒動が起こる
8月 生麦事件が起こる
閏8月 幕府、初代京都守護職に会津藩主・松平容保を任命
文久3年
(1863)
2月 幕府浪士組が江戸を出発し、入京
3月 孝明天皇が上賀茂、下鴨神社に攘夷祈願
同月 壬生浪士組(のちの新選組)が会津藩御預かりになる
4月 孝明天皇、攘夷祈願のために石清水社に行幸
5月 長州藩、下関で外国船に砲撃
7月 薩英戦争が勃発する
8月 天誅組の変が起こる
同月 八月十八日の政変が起こり、壬生浪士組は御所周辺を備、新選組の隊名を下賜される
9月 新選組は芹沢鴨、平山五郎を粛清(暗殺)
10月 生野の変が起こる
元治元年
(1864)
3月 水戸天狗党が筑波山で挙兵
6月 新選組が池田屋を襲撃する(池田屋事件)
7月 禁門の変が起こり、新選組も長州軍と戦う
10月 伊東甲子太郎らが新選組に入隊
慶応元年
(1865)
3月 新選組は屯所を壬生から西本願寺へ移す
9月 将軍・家茂、第二次長州征伐の勅許を得る
慶応2年
(1866)
1月 薩長同盟が締結
6月 第二次長州征伐の攻撃が開始される
7月 14代将軍・家茂が病没する(21歳)
8月 幕府軍が敗退し、小倉城が陥落する
9月 新選組が土佐藩士を急襲(三条制札事件)
12月 徳川慶喜、征夷大将軍に任命される
同月 孝明天皇崩御(37歳)
慶応3年
(1867)
3月 伊東甲子太郎らが御陵衛士を結成して新選組から離
6月 新選組が幕臣に取り立てられる
同月 新選組、屯所を西本願寺から不動堂村(西九条村)へ移す
同月 新選組の武田観柳斎が斬殺される
10月 土佐藩が大政奉還の建白書を老中に提出
同月 倒幕派に「討幕の密勅」が下される
同月 将軍慶喜、在京大名の重臣を集め、大政奉還を諮問
同月 慶喜、大政奉還を朝廷に上奏する
同月 伊東甲子太郎が坂本龍馬と中岡慎太郎に身の危険を忠告る
11月 坂本龍馬、中岡慎太郎が近江屋で殺害される
同月 油小路の変が起こり、伊東甲子太郎ら4名が闘死
12月 天満屋騒動が起こる
同月 王政復古の大号令が発せられ、小御所会議が開かれる
同月 近藤勇が墨染で御陵衛士の残党に狙撃されて重傷を負う
明治元年
(1868)
1月 鳥羽伏見の戦いが起こり、新選組も参戦
3月 新選組改め甲陽鎮撫隊が甲州勝沼の戦いで新政府軍に敗れる
4月 近藤勇、流山で新政府軍に投降
同月 江戸城が無血開城される
同月 近藤勇が斬首される
明治2年
(1869)
5月 箱館戦争で土方歳三が戦死

MAP

『CHAIN』マップ

舗装された道路に転がる御陵衛士の遺体。本光寺前の石碑に身を委ね、身絶える伊東甲子太郎。
本映画のなかでも特徴的なのが、「現代」の風景がひろがるシーンだ。
「場所」を、それが持つ「時間」と結びつけ可視化することはできないかと。
そして幕末のひとと我々とを直接的に結びつけられないかと。
「過去」から「現代」へのつながりを、すこしでも感じていただけると幸いである。

COMMENT

コメント

(順不同)

佐藤浩市さん(俳優)

時代劇の約束事を反故にするオープニング(後に造り手の意図は伝わる)からどれだけ破天荒な世界観の映画が始まるのかと思いきや「CHAIN」は、諸国の事情を背負いながら目線は日本の夜明けからずれる事のない者、立身出世を目指す者、自身の足元を見据えるリアリストなど、新撰組という烏合の衆を消してステロになる事なく丁寧に描きながら油小路の変に進んでいく。
最後の叫びは、いつの世も来世への希望であり、現世の絶望である。

古厩智之さん(映画監督)

描かれるさむらいたち。いや、さぶらふ(従う、仕える)ことが叶わない居場所のないさむらいたち。

会津脱藩の無名浪士・桜七郎、新選組を抜け御陵衛士隊を結成する伊東甲子太郎、近藤勇の間者として衛士隊に潜入する斎藤一…。

彼らはみな確固たる自身がない。徳川の世が揺らぎ、佐幕を、勤王を語るけど、言葉は空転する。視線を合わさず、モヤモヤとみな地を這いずるようだ。

この空気、初めて見た。しゃっきりした幕末モノって嘘っぽい…と思ってたのだ。“自らを信じられない者たちの幕末”は、こんな空気の底を這い回っていたのではないか。

他方、刀を持たぬ者たちも描かれる。

まだ少女の夜鷹が死んだ弟の面影を語る。過酷な野外生活。肌はブツブツに覆われている。

キレイな顔立ちの青年陰間(男相手の男娼)は、ゴザの上で男に乱暴に抱かれる…。殴られ、弱く、加害されるばかり…。

男たちにアヘンを吸わせ、胡弓を弾く美しい女。京の夜に男たちを沈め自らも沈む…。

新選組たちの惨劇を町娘は格子の隙間から覗き見ることしか出来ない…。

迫害され、夜の狭間で生きるしかない弱い者たち。彼、彼女たちがアジール(避難所)を作っていく物語かと思いきや、そうはならない。いっとき寄り添いはするが、彼らはひとりのまま。日々は過酷を極めて行く…。

さむらいたちが追い詰められ、さらに地へ沈むころ。

夜鷹や陰間、アヘン窟の女たちも分断され、孤立し、ひとりになる。押し潰され死んでいく。俳優たちがとてもエモーショナルだ。映画を振動させるように感情を爆発させ、内側から鈍く光を漏らし、彼女たちは京の夜の隙間に消えて行く。

彼女たちに感光するように、さむらいたちも発光する。各々の交わらない大義を言い訳に刀を振るうとき、血しぶきが、居合の一閃が。それまでの勤王佐幕の議論を吹っ飛ばし、生き生きと画面を満たす。躍動する。

多くの悲惨な死の末、生きながらえた者の煩悶を叫び映画は終わる。でも不思議だ。なにかしあわせ。多幸感を感じる。なぜ?

空転する議論の末、血しぶきをあげるさむらいたち。叫び、泣いて死んでいく夜鷹。あちこちでロウソクの火がふいに明るくなり、消える。まっくらになって行く京の闇で、今までたくさんの火が灯っていたことに気付く。それが喜びそのものだったと気付く。ずっと謳われていたのは人間賛歌だったのだ。

「CHAIN」は、生をことほいで(寿いで)いた。

血にまみれた幕末なのに、人が生まれて死ぬことそのものが、祝祭のような映画だった。

阪本順治さん(映画監督)

劇中の菓子屋のせがれが志士たちに放つ「政治ってなんね!」という科白が心に響いた。
幕末において、おとこたちは、青臭いほどの論を説き、その熱情が自尊心をたぎらせ、血の匂いを求めて悦に入るバカどももいて、一方、おんなたちは、そんなおとこたちに哀れみと、強烈な違和感を示した。物語には、陰間も加わり、従来の志士だけに注目した幕末時代劇の作法を拒み、多様な視線をもって江戸の末路をえぐる。
観客が、大胆な転換や背景描写(ここでは云えない!)に「え、なんで」と驚くだろうが、この横紙破りこそ、監督が絶対譲らなかった狙いであり、その覚悟ある越境と自在な采配にこそ、いまの時代に問うべきイシューが含まれているのだ。
私の同業者、つまり映画監督たちはこの作品を観て、誰もが驚嘆、共鳴、次なる道標のきっかけを掴むだろう。加えて、存じ上げない俳優さんがたくさん出演していたが、みんな、余計な熱演を避け、自然体で素晴らしかった。と、高岡蒼佑、またいつか戻ってこいよ。傑作です!

THEATER

劇場情報

前売り鑑賞券 発売中

¥1,400(税込)

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